大判例

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神戸地方裁判所 昭和51年(わ)762号 判決

主文

被告人Aを懲役一年六月に、被告人Bを懲役一年にそれぞれ処する。

この裁判の確定した日から被告人両名に対しいずれも三年間それぞれその刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人七野弘、同尾崎赫彦、同森山正彦、同山下登美夫、同箱崎隆宏に各支給した分はいずれも被告人Aの負担とし、証人大森良春、同小池茂利、同田部智亮、同小畑啓一、同若松昇、同土居通雄、同橋本公明に各支給した分はいずれも被告人Bの負担とし、証人佐古一穂、同洪寿男に各支給した分はその二分の一ずつを被告人両名の各負担とし、証人福井元、同八尾利治、同島田智、同倉本範雄、同松本浩之、同有馬俊和、同猪又文徳、同中村純治、同山内厳、同山尾秀志、同丸橋輝勝、同笹尾修次、同白石政則に各支給した分はいずれもその四分の一ずつを被告人両名の各負担とする。

被告人Aに対する公訴事実中第三の事実及び被告人Bに対する公訴事実中第六の事実(いずれも西原基之に対する殺人の事実)につき、被告人A、同Bはいずれも無罪。

理由

(昭和五一年度神戸まつり事件の概要)

神戸市においては例年五月に神戸市民祭協会主催の神戸まつりが開催されているが、昭和四九年度の第四回神戸まつり及び昭和五〇年度の第五回神戸まつりでは、暴走族車両数十台が暴走行為を繰り返し、見物の群衆がこれに呼応して通行中のタクシーや取締にあたった警察官に対し投石するなどの騒動が発生した。第六回神戸まつりは昭和五一年五月一四日から同年同月一六日までの三日間の日程で開催されたが、兵庫県警察本部では前年度と同様の騒動の発生を予想し、同月一四日暴走族防圧対策本部を設置し、治安の確保にあたることとした。第一日目の同月一四日は、当日夜から約五五台の車両が三宮周辺で暴走行為を行い、群衆約二〇〇名が蝟集したが特に目立った騒動は生ぜず一応平穏であった。

ところが第二日目の同月一五日の夜に至り、三宮周辺には暴走族見物を目的とする群衆約六、〇〇〇名が集まって騒然とした雰囲気に包まれ、同日午後九時すぎころ神戸市役所前交差点で一台のタクシーが転覆放火されたのを契機として群衆の一部が暴徒化し、そのころから翌同月一六日午前五時ころまでの間、三宮周辺の各所において、タクシーへの襲撃、機動隊、派出所、警察署への投石などを繰り返したが、その間、同月一五日午後一一時三〇分ころ、同市中央区小野柄通八丁目一番八号付近の神戸市道中央幹線西行車道上において、神戸新聞社カメラマン西原基之が群衆から暴行を受けて路上に昏倒し、折から群衆からの投石等の暴行により同所付近に立往生していた警察輸送車が群衆に押されて右西原を轢過し、同人が死亡するという事件が発生した。結局同夜の騒動による被害総計は、一般人の死亡者一、軽傷者一〇、警察官の軽傷者四二、全焼したタクシー七、大破したタクシー三、損傷をうけた自動車等一三五、投石等の被害をうけた建物四にのぼった。

(罪となるべき事実)

被告人Aは本件当時自動車整備工として働くとともに神戸市立C工業高等学校定時制四年生に在学中であったもの、被告人Bは昭和五一年二月、兵庫県立D工業高等学校を卒業し、本件当時E製品販売株式会社で稼働していたものであるが、昭和五一年五月一五日夜、いずれも暴走族の暴走を見物する目的でそれぞれの友人と共に三宮周辺に繰り出し、同日午後九時半ころから始まった前記の騒乱状態を見るうち興奮してこれに加わることとし、

第一  被告人Aは

一  同日午後一一時すぎころ、神戸市葺合区小野柄通八丁目一番地付近の神戸市道中央幹線西行車道において、タクシー営業中の七野弘運転にかかる阪急タクシー株式会社所有の事業用乗用普通自動車(神戸五五あ六五五九号)が多数の者に取り囲まれて停車し、右七野及び乗客が危険を感じて一時下車した際、右多数の者と共謀のうえ、同人らとともに、同車の車体を押して転覆させ、足蹴りするなどし、その車体を大破(損害額約六九万六、一三〇円)させて同車の運行を不能ならしめ、もって多衆の威力を示し、かつ数人共同して右阪急タクシー株式会社所有の器物を損壊するとともに、威力を用いて右阪急タクシー株式会社のタクシー営業の業務を妨害し、

二  昭和五一年五月一六日午前一時すぎころ、同市同区小野柄通二丁目一番一八号葺合警察署小野柄派出所前路上において、石一個を右派出所北側窓ガラスに投げつけ、右ガラス一枚(価格五、六〇〇円相当)を破壊し、もって兵庫県警察本部長管理にかかる公有財産である器物を損壊し、

三  同日午前二時ころ、同市同区雲井通一丁目一番地付近の国道二号線東行車道において、タクシー営業中の尾崎赫彦運転にかかる栄タクシー株式会社所有の事業用乗用普通自動車(神戸五五あ五八九七号)が群衆から投石を受けて停車し、右尾崎及び乗客が危険を感じて一時下車した際、多数の者と共謀のうえ、同被告人以外の者らにおいて同車の車体を足蹴りし、同車を押して転覆させ、その場に居た氏名不詳者において同被告人が手渡したティッシュペーパーに火をつけて同車内に投げ入れてその車体を焼燬(損害額約一五二万七、六〇〇円)して同車の運行を不能ならしめ、もって多衆の威力を示し、かつ数人共同して栄タクシー株式会社所有の器物を損壊するとともに、威力を用いて右栄タクシー株式会社のタクシー営業の業務を妨害し、

四  同日午前二時ころ、同市同区雲井通一丁目八番地の三付近の国道二号線東行車道において、タクシー営業中の山下登美夫運転にかかる宝交通株式会社所有の事業用乗用普通自動車(神戸五五い二一九一号)が群衆から投石を受けて停車し、右山下及び乗客が危険を感じて一時下車した際、多数の者と共謀のうえ、同人らとともに同車を押して転覆させ、同車内に火のついた紙を投げ入れて点火し、その車体を焼燬(損害額約一七五万四、八〇〇円)して同車の運行を不能ならしめ、もって多衆の威力を示し、かつ数人共同して右宝交通株式会社所有の器物を損壊するとともに、威力を用いて右宝交通株式会社のタクシー営業の業務を妨害し、

五  同日午前二時一〇分ころ、同市同区吾妻通六丁目二番地付近の国道二号線東行車道において、観光旅行客一八名を乗せ運行中の先崎勝人運転にかかる琴参タクシー株式会社所有の事業用乗合大型自動車(香二二か二〇〇号)を認めるや、多数の者と共謀のうえ、同人らとともに同車に対し投石し、同車のフロントガラス等を破壊(損害額約五六万四、五〇〇円)して同車の運行を不能ならしめ、もって多衆の威力を示し、かつ数人共同して右琴参タクシー株式会社所有の器物を損壊し、威力を用いて右琴参タクシー株式会社の旅客運送営業の業務を妨害するとともに、右暴行により乗客らのうち、福島孝に対し加療約一六日間を要する左上腕挫傷、前頭部挫傷及び左背部挫傷の、福島昭子に対し加療約一〇日間を要する顔面挫傷及び左鼻翼部切創の各傷害を負わせ、

六  同日午前三時三〇分ころ、同市同区北本町通六丁目五番三号付近の国道二号線西行車道において、タクシー営業中の扶桑タクシー株式会社運転手森山正彦運転にかかる大阪トヨペット株式会社所有の事業用乗用普通自動車(大阪五五う三九七号)が多数の者に取り囲まれて停車し、右森山及び乗客が危険を感じて一時下車した際、右多数の者と共謀のうえ、同被告人以外の者らにおいて同車の車体を足蹴りし、同車を押して転覆させ、同被告人において同車内に火のついた紙を投げ入れて点火し、その車体を焼燬(損害額約九二万三、四四六円)して同車の運行を不能ならしめ、もって多衆の威力を示し、かつ数人共同して大阪トヨペット株式会社所有の器物を損壊するとともに、威力を用いて右扶桑タクシー株式会社のタクシー営業の業務を妨害し、

七  同日午前四時二〇分ころ、同市同区吾妻通五丁目二番一号葺合警察署前路上において、多数の者と共謀のうえ、同人らとともに、同警察署庁舎に向け投石して同庁舎南側窓ガラス四枚(価格合計約四万六、〇八〇円相当)を破壊し、もって数人共同して兵庫県警察本部長管理にかかる公有財産である器物を損壊し、

第二  被告人Bは

一  昭和五一年五月一五日午後九時一〇分ころ、神戸市生田区加納町六丁目七番地付近路上において、タクシー営業中の小池茂利運転にかかるみなとタクシー株式会社所有の事業用乗用普通自動車(神戸五五い三四八号)が多数の者に取り囲まれて停車し、右小池が危険を感じて一時下車した際、右多数の者と共謀のうえ、同被告人らにおいて同車の車体を足蹴りし、同車を押して転覆させ、同被告人以外の者らにおいて同車内に火のついた紙を投げ入れて点火し、同車を焼燬(損害額約一〇三万二、五六〇円)して同車の通行を不能ならしめ、もって多衆の威力を示し、かつ数人共同して右みなとタクシー株式会社所有の器物を損壊するとともに威力を用いて右みなとタクシー株式会社のタクシー営業の業務を妨害し、

二  同日時、同場所において、右自動車を転覆させた際、同車内から路上に散乱した右みなとタクシー株式会社所有にかかる同車の売上金中、現金約三六〇円を窃取し、

三  同日午後九時一五分ころ、同所付近路上において、タクシー営業中の田部智亮運転にかかる三宮自動車交通株式会社所有の事業用乗用普通自動車(神戸五五あ八四一三号)が多数の者に取り囲まれて停車し、右田部が危険を感じて一時下車した際、右多数の者と共謀のうえ、同人らとともに同車の車体を足蹴りし、同車を押して転覆させるなどし、その車体を大破(損害額約八三万九、三三〇円)させて同車の運行を不能ならしめ、もって多衆の威力を示し、かつ数人共同して右三宮自動車交通株式会社所有の器物を損壊するとともに、威力を用いて右三宮自動車交通株式会社のタクシー営業の業務を妨害し、

四  同日午後一〇時ころ、同所付近の路上において、多数の者と共謀のうえ、暴走族の暴走行為に伴って発生する群衆の違法行為の規制などの職務に従事していた兵庫県警察本部警備部機動隊第一中隊第一小隊(小隊長警部補橋本公明以下二三名)所属の警察官らに対し、投石するなどの暴行を加え、もって右警察官らの職務の執行を妨害し、

第三  被告人A及び被告人Bは、昭和五一年五月一五日日午後一一時三〇分ころ、神戸市中央区小野柄通八丁目一番八号付近の神戸市道中央幹線西行車道において、それより先三宮交差点付近の交通規制に従事するため大型輸送車(兵八ち一〇一号)に乗車して同所に到着した葺合警察署警ら第二係長警部補倉本範雄ら一五名の警察官のうち、運転手の松本浩之巡査を除く一四名の警察官が一旦降車したところ、群衆から投石され、木の棒で突くなどの暴行を受けたため、これを避けるため幌に覆われた右輸送車の後部荷台部分に再乗車した際、多数の者と共謀のうえ、被告人ら以外の者において同輸送車にむかって石、空カン、棒切れ、火のついた紙等を投げ、運転席の屋根、及び、ボンネットに飛び乗り、木の棒で車体を叩き、幌内の右警察官らを木の棒で突き、同車を押すなどの、被告人Aにおいて同車のフロントガラスに対して石及びナンバープレートを投げつけ、同車の方向指示器を引きちぎり、同車を押すなどの、被告人Bにおいて同車に対し投石し、車体を足蹴りし、同車を押すなどの暴行を加え、よって同車のフロントガラスなどを破壊し、もって多衆の威力を示し、かつ数人共同して兵庫県警察本部長管理にかかる公有財産である器物を損壊するとともに、右警察官らの職務の執行を妨害し、右暴行により右警察官らのうち別表記載の者五名に同表記載の各傷害を負わせ

たものである。

(証拠の標目)

《中略》

なお判示第三の事実につき、公訴事実では被告人両名は判示警察官らが判示輸送車から下車した時点で、他多数の者と、右警察官らに対し暴行を加えるとともに右輸送車を損壊することを共謀したとされており、また、判示中村純治に与えた傷害は、判示の左肘部打撲傷の他に右下腿部打撲傷もあるとされているが、被告人Aの検察官に対する昭和五一年六月二日付、同年同月七日付及び同年同月一四日付各供述調書及び同被告人の当公判廷における供述を総合すれば、同被告人は右輸送車が判示場所に停車した際、群衆とともに同車を取りまいて見ていたところ、後部荷台から警察官十数名が降車してきたため、他の群衆とともに判示神戸市道中央幹線の中央分離帯を超え東行車道まで逃げ、その後群衆は右警察官に対し投石等の暴行をはじめたが、それには加わらず、右警察官らが再乗車した後、同車の前部にまわって判示の暴行を加えたことが認められ、また被告人Bの検察官に対する昭和五一年七月二九日付供述調書及び同被告人の当公判廷における供述を総合すると、同被告人は、右警察官らが輸送車に再乗車した後に同車が判示場所に停車していることに気付き、その後判示の暴行を加えたことが認められるのであって、これらの事実によれば、被告人両名が前記共謀に加わったのは、右警察官らの再乗車の後であるといわなければならない。

そして第一一回公判調書中の証人中村純治の供述部分によると同人が右輸送車から一旦降車した際、群衆からの投石をうけて右下腿部打撲傷の傷害を受けたことが認められるのであり、被告人両名が共謀に加わる以前の群衆の暴行による右中村の右受傷については、被告人両名に責任を負わすことはできないものというべきである。

さらに右公訴事実中、被告人両名が多数の者と共謀のうえ、重本巽に対し、加療約一〇日間を要する右腰部・左膝部打撲傷の傷害を与えたとの点については、右のように被告人両名が右警察官らに対する暴行及び輸送車の損壊についての共謀に加わったのは、右警察官らが一旦降車し、その後再乗車した後であると認められるところ、第一一回公判調書中の証人重本巽の供述部分によれば、同人の右腰部・左膝部打撲傷は、いずれも同人が一旦右輸送車を降車した際に、群衆の一人から右腰部を木の棒で殴られ、さらに群衆からの投石が左膝に当たったことにより受けたものであることが認められるのであって、被告人両名が共謀に加わる以前の群衆の暴行による右重本の受傷につき、被告人両名に責任を負わすことはできないというべきであり、他に右傷害が被告人らの行為によって生じたことを認定するに足る証拠はないから、結局右事実については犯罪の証明がないものというべきであるが、右は判示暴力行為等処罰に関する法律違反罪及び公務執行妨害罪と一所為数法の関係にあるものと認められるから、主文において特に無罪の言渡はしない。

(一部無罪の理由)

被告人Aに対する公訴事実中第三の事実及び被告人Bの公訴事実中第六の事実(西原基之に対する殺人の事実)の要旨は、「被告人両名は昭和五一年五月一五日午後一一時三五分ころ、神戸市中央区小野柄通八丁目一番八号付近の神戸市道中央幹線西行車道において、ほか多数の者らとともに、判示第三の大型輸送車(車両総重量六、一一〇キログラム)を後方に向けて押していたところ、被告人Aは同車を約七メートル後退させた際、同車の後方約九メートルの後退進路上に昏倒している西原基之(当時四〇年)を認め、被告人Bは、右西原を認めた周囲の群衆から発せられた『人が倒れている』などとの警告によって、人が同車の後退進路上に倒れていることを知ったが、被告人両名とも右西原を殺害する意思をもって、ほか数名と共謀のうえ、さらに右多数の者とともに同車を押し続けてこれを後退させ、同車右後車輪で右西原の身体を轢過して同人に肝臓破裂等の傷害を負わせ、よって同日午後一一時四五分ころ、同市同区雲井通八丁目官有無番地葺合警察署三宮センター派出所において、右傷害により同人を死亡するに至らせて殺害したものである」というのである。

よって審究してみるのに、《証拠省略》を総合すると、右西原基之は神戸市中央区雲井通七丁目一四番地に所在する神戸新聞社に勤務するカメラマンであったが、昭和五一年五月一五日は午後八時半ころ退社し、三宮周辺のスナック等で飲食したあと、同日午後一一時すぎころ、帰宅するべく国鉄三宮駅南側の市道中央幹線といわゆるフラワーロードが交わる三宮交差点に通りかかった際、同所付近に蛸集した群衆の異常な興奮状態をみとめ、直ちに右神戸新聞社に戻り、カメラを携えて同所へとって返し、群衆のタクシーに対する襲撃状況等を撮影中、同市中央区小野柄通八丁目一番八号付近の神戸市道中央幹線西行車道において、暴徒数人にカメラを奪われたうえ、足蹴りされたりして道路上に転倒し、更に多数回足蹴りされる等の袋だたきの暴行をうけ、同所に昏倒した直後、同所から約二〇メートル西方の歩道橋下の、同人より約八メートル南側歩道寄りに西向きに停車していた右大型輸送車が、前部西側から群衆に押されて東方向へ後退をはじめ、徐々に北方向へ向きをかえつつ同所西行車線を斜め横断し、同車右後車輪が右西原の身体を轢過し、更に後退を続けて中央分離帯に衝突し、その反動で約六メートル前進してやっと停まったが、右西原は右轢過により公訴事実記載の傷害を負い、同記載の日時、場所において死亡したことが認められる。

そこで以下右西原殺害に関連して、その当時の被告人両名の行動について考究するに、右公訴事実に対する被告人両名の司法警察員及び検察官に対する各供述調書については、当裁判所は昭和五六年三月一〇日、第四九回公判において、右は違法な手続によって収集された証拠であり、証拠能力を否定すべきであるとしてその証拠としての取調請求を却下したところであるので、当然右以外の証拠によって考察することとなる。

まず被告人Aの行動についてみてみるのに、同被告人の当公判廷における供述によると、同被告人は判示第三に認定の如く、右大型輸送車の東側から投石し、何ものかによってひきちぎられたナンバープレートを同車のフロントガラスをめがけて投げつけ、さらに同車の方向指示器をひきちぎる等の暴行を加えていたところ、群衆のうちの数人が発した「押せ」というかけ声により、約二〇名くらいの群衆が同車前部付近に取りついたため、同被告人も同車を押そうとしたものの、同車前部には同被告人が割り込む余地がなかったため、同車の北側にまわり、運転席と荷台との境付近に手をあてて押したところ、同車が後退をはじめたので引き続き押し続けるうち、同車の後方、同被告人から約一〇メートルの地点に「黒っぽいもの」があることを発見したことが認められる。

ところで同被告人は、この後の行動について、当公判廷において、「黒っぽいもの」が何かなと思い、同車から手を離して小走りで近づき、それが倒れた人間であることに気づいたが、その直後群衆に押されて後退を続けていた同車の右後車輪がその上に乗りあげ、轢過した旨供述する。

これに対し、検察官は、同被告人は白鉛管服という奇異な服装に示されるように、当夜殊更目立とうと考えていたこと、また当夜の一連の行動に照らし、群衆の熱気と興奮に呑みこまれた暴徒の一人と化していたこと等から、同被告人の右弁解は信用できないのであって、同被告人は「黒っぽいもの」を発見し、それが倒れた人間であると気付いた後も、同車から離れることなく押し続けたと推認すべきであると主張するが、検察官指摘の諸事情は同被告人の当公判廷における右供述の信用性の判断にさほど影響するものとは思料されず、一方毎日新聞昭和五一年五月一七日付朝刊(写)に掲載されている報道写真及びその一部分を拡大したものと認められる同新聞同年同月二五日付朝刊(写)に掲載されている報道写真には、後退途中の輸送車の北側運転席と荷台との境付近で、同輸送車から離れ、同車の後方に身体及び視線を向けている同被告人の姿が不鮮明ながらも写っていて、同被告人の当公判廷における前記供述は右各写真に写っている同被告人の姿と合致すること、また同被告人及び小島直臣の当公判廷における各供述によると、同被告人は昭和五一年五月二三日に逮捕されてから同月三〇日までの間、一貫して当公判廷における前記供述と同内容の弁解をしていたと認められること、その他右供述の内容、同被告人の供述態度等に照らし、検察官主張の如く同被告人の当公判廷における前記供述を信用できないものとして直ちに排斥するのは相当でないのみならず、他に証拠を精査しても、右公訴事実の如く同被告人が輸送車の後退進路上に人が倒れていることを知ったうえで、なお同車を押し続けたものと肯認するに足りる証拠は存しない。

続いて被告人Bのとった行動についてみてみるのに、同被告人の当公判廷における供述によると、同被告人は判示第三に認定の如く大型輸送車に投石し、同車の後輪付近を足げりしたあと、同車南側のガードレール付近で、なお続いていた群衆の同車に対する暴行を見ていたところ、群衆が同車を後方へ押し出したのをみて、群衆は同車を押して何かにぶつけるか、転覆させてしまうつもりなのだろうと判断して自分も加わろうと考え、同車前部を押していた群衆の中に割り込み、「わっしょい、わっしょい」「せえの、せえの」等と周囲の者と共にかけ声をかけながら、同車が中央分離帯に衝突するまで押し続けたことが認められる。

ところで同被告人は、当公判廷において同車を押した際、公訴事実記載の周囲の群衆から発せられた「人が倒れている」旨の警告は全く聞いておらず、同車の後退進路上に人が倒れていることは全く知らなかった旨供述し、検察官は関係各証拠から同被告人が右警告を聞いたと推認すべきであると主張するので検討してみるのに、《証拠省略》によると、前記歩道橋の北側階段付近から輸送車が後退する状況を見ていた山内巖及び丸橋輝勝は前記警告を耳にしていないこと、中央分離帯付近にいた膠明進、常見恭幸のうち、右膠は自ら「危い、人がいる」と叫び、同人の周囲にいた人もバラバラと「危い」と声を出したが、膠自身はこれらの声が輸送車を押していた者達には聞こえなかっただろうと判断していること、右常見は警告の声を聞いた記憶はないこと、西行車道南側のそごう百貨店前歩道付近から輸送車が後退する状況を見ていた山尾秀志、笹尾修次、油井利和及び田中武司のうち、右山尾は「人がおるから押すな、ひくぞ、危ない」との声を中央分離帯の方向から、右笹尾は「危ない」との声を中央分離帯の方向から、右油井は「危ない」との声を自分の周囲からそれぞれ聞いており、右山尾はその声は誰にでも聞こえただろうと判断し、右笹尾は輸送車を押していた者達には聞こえていないだろうと判断していること、右田中は警告の声は聞いていないこと、被告人らとともに輸送車を押していた白石政則、高田忠良、陳道弘はいずれも警告の声を聞いていないこと、輸送車の後部荷台に乗っていた倉本範雄、松本浩之、有馬俊信、猪又文徳、中村純治、重本巽のうち、右猪又は群衆の中から「何かある」との声を聞いているが、他の五人は警告の声を聞いていないことが認められる。右によれば、中央分離帯付近で右膠他数名、南側歩道付近でも数名が「危い」「人がおる」等の警告の叫び声をあげており、特に中央分離帯付近で発せられた叫び声は、喧噪の中南側歩道付近にいた右山尾や笹尾の耳にまで届いているのであるから、かなりの大声であったものと推測される。

そこで右事実から検察官は、右山尾や笹尾より中央分離帯により近い距離に位置していた被告人Bは当然右警告の声を聞いていたものと推認すべきであるというのであるが、ある音がある特定の個人の耳に達し、その個人に音として意識されるか否かは、音の客観的な大きさ、音の発生源とその個人との距離だけではなく、その個人自身が声を発していたか否か、その時の精神状態、その人の周囲の喧噪の状況等種々の要因によって決まるものと思料されるところ、前述のように被告人Bらは、「わっしょい、わっしょい」「せえの、せえの」等とかけ声をかけながら輸送車を押していたこと、同被告人は当夜すでに判示第二の一ないし四、及び第三の各犯行を敢行していて、かなりの興奮状態にあったであろうと推認されること、輸送車の直近は押している同被告人らのかけ声、後部荷台上の警察官らの制止の声、周囲の群衆の怒声、喚声、ざわめき等により喧噪状態にあったと推認されること、現に同被告人と共に輸送車を押していた前記白石、同高田、同陳の三名は右警告の声を聞いておらず、また後部荷台にいた警察官の大部分もまたこれを聞いていないこと(右後部荷台は左右上方は幌で覆われていたが、後部は開けられたままになっていたと認められるから、中央分離帯方向からの音は一応遮るものはなく十分後部荷台内に伝わりえたと思料される)等の事実をあわせ考えれば、同被告人が前記警告の声を聞いていたと推認するにはなお合理的な疑いが存するというべきであり、他に証拠を精査しても、右公訴事実の如く、同被告人が輸送車を押した際、その後退進路上に人が倒れていることを知っていたと肯認するに足りる証拠は存しない。

以上によれば、被告人両名とも右西原基之に対する殺人の公訴事実については、結局その犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により、右公訴事実につき、被告人両名に対しいずれも無罪の言渡をすることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

被告人Aに対する判示第一の一、被告人Bに対する判示第二の一及び三の各事実につき、被告人両名の弁護人は、被告人両名はいずれも運転手及び乗客が逃げ出したあと、即ち各運転手がタクシー営業の業務を放棄し、又は業務の継続が不能となったあとに、各タクシーに対して判示各暴力を振るったものであるから業務妨害罪は成立しない旨主張するので検討してみるのに、右の事実に関する《証拠省略》によれば、なるほど各被告人が各タクシーに対し暴力を振るったのは各運転手が逃げ出した後であることは認められるが、各運転手はいずれも群衆から襲撃を受け、自己の身体に危険を感じて一時的にタクシーから離れて避難したものであって、当夜のタクシー営業を最終的に放棄する意思であったとは認め難いし、被告人らのなした各タクシーに対する損壊行為は、当該タクシーによる当夜のタクシー営業の妨害に止まらず、翌日以降のタクシー営業の遂行をも妨害するものであることは明らかであるから、各弁護人の右主張は到底採用しえない。

被告人Aに対する判示第一の二の事実につき、被告人Aの弁護人は、同被告人が損壊したガラス一枚は、同被告人の投石前に既に何者かの投石によって破壊され、窓ガラスとしての効用を喪失していたものであるから、器物損壊罪の客体とはなり得ず、同罪は成立しない旨主張するので検討してみるのに、右の事実に関する《証拠省略》によると、同被告人が投石した窓ガラスは、判示小野柄派出所北側の二枚引き腰窓の東側上段の、縦七五センチメートル、横六三センチメートルのワイヤー入りガラスであり、右ガラスは同被告人の投石前に既に何者かの投石により拳大くらいの穴があけられ、その周囲にひびが入っていたこと、同被告人は拳より少し大き目の石一個を右手に持ち、右ガラスを狙って投げたところ、右穴が更に拡大して頭大になったことが認められる。右によれば、同被告人による投石前の右ガラスはかなり破損してはいたものの、なお適当な補修により窓ガラスとして継続使用することも不可能ではなく、社会通念に照らし、未だその効用を完全に喪失したとはいえないから、器物損壊罪の客体となり得るものというべきである。よって弁護人の右主張は採用できない。

被告人Aに対する判示第一の三の事実につき、被告人Aの弁護人は、同被告人は器物損壊、業務妨害の実行行為を何ら行なっておらず無罪である旨主張するので検討してみるのに、同被告人の検察官に対する昭和五一年六月二二日付供述調書によると、同被告人は判示栄タクシー株式会社所有の事業用普通乗用自動車に対して暴行を加えようと考え、同車に近づこうとしたところ、当初は群衆が同車を幾重にも取りまいていて同車に触れることができなかったため、同被告人の前にいた群衆の肩を押すなどしていたが、群衆が同車を転覆させた後にようやく同車に接近し、同車の中からティッシュペーパーの箱をとり出して隣で紙に点火して同車内に投げ入れていた氏名不詳者に右箱を手渡したところ、同人は点火したティッシュペーパー数枚を同車内に投げ入れ、やがて同車が燃えあがった旨供述しており、右供述調書の任意性、信用性を疑うに足りる事情はなく、右によれば、判示事実はこれを認定することができ、同被告人に直接の実行行為がないとしても、共謀共犯者としての刑責は免れないものであるから、同被告人に刑責がないとする弁護人の右主張は採用できない。

被告人Bに対する判示第二の二の事実につき、被告人Bの弁護人は、被告人Bは現金三六〇円を判示場所で拾ったとき、それが判示みなとタクシーの売上金であるとは認識しておらず、何者かが落としたものと考えていたのだから同被告人には窃盗の犯意を欠くので、右行為は占有離脱物横領罪をもって問擬されるべきである旨主張するが、被告人Bは検察官に対する昭和五一年七月二九日付供述調書において、「転覆したみなとタクシーの運転席側ドア付近で、二人の男が『銭や、銭や』といいながら地面の金を拾っていたので、それがみなとタクシーの売上金だと思いつつ、三六〇円を拾った」旨供述していて、右供述調書の任意性、信用性を疑うに足る事情は認められず、右によれば窃盗の犯意は優にこれを認めることができ、弁護人の右主張は採用できない。

被告人Bに対する判示第二の四の事実につき、被告人Bの弁護人は、判示兵庫県警察本部警備部機動隊第一中隊第一小隊所属の警察官らが従事していた公務の内容が具体的に立証されていないから、同被告人は無罪とされるべきである旨主張するが、《証拠省略》を総合すれば、右警察官らが判示の公務に従事していたことは明らかであり、弁護人の右主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人Aの判示第一の一、三、四、六の各所為、被告人Bの判示第二の一、三の各所為中、多衆の威力を示し、かつ数人共同して器物を損壊した点はいずれも包括して暴力行為等処罰に関する法律一条(なお判示第一の三の所為につき刑法六〇条)に、威力を用いて各タクシー会社の業務を妨害した点はいずれも刑法六〇条、二三四条に該当するが、右はいずれも一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条によりいずれについても一罪として犯情の重い暴力行為等処罰に関する法律違反罪で処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、被告人Aの判示第一の二の所為は刑法二六一条に該当するので所定刑中懲役刑を選択し、同第一の五の所為中、多衆の威力を示し、かつ数人共同して器物を損壊した点は包括して暴力行為等処罰に関する法律一条に、バス会社の業務を妨害した点は刑法六〇条、二三四条に、判示福島孝及び福島昭子に傷害を負わせた点はいずれも同法六〇条、二〇四条に該当するが、右の暴力行為等処罰に関する法律違反、威力業務妨害と右福島孝及び福島昭子に対する各傷害は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として刑及び犯情の最も重い右福島孝に対する傷害罪の刑で処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、被告人Aの判示第一の七の所為は暴力行為等処罰に関する法律一条に該当するので所定刑中懲役刑を選択し、被告人Bの判示第二の二の所為は刑法二三五条に該当し、同第二の四の所為は同法六〇条、九五条一項に該当するので所定刑中懲役刑を選択し、被告人両名の判示第三の所為中、多衆の威力を示し、かつ共同して器物を損壊した点は包括して暴力行為等処罰に関する法律一条に、判示警察官らの公務の執行を妨害した点は刑法六〇条、九五条一項に、判示倉本範雄ら五名に傷害を与えた点はいずれについても同法六〇条、二〇四条にそれぞれ該当するが、右の暴力行為等処罰に関する法律違反、公務執行妨害と右倉本範雄ら五名に対する各傷害は、一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として刑及び犯情の最も重い右倉本範雄に対する傷害罪について定めた懲役刑で処断することとし、被告人Aについては判示第一の一、二、三、四、五、六、七、第三の各罪が、被告人Bについては判示第二の一、二、三、四、第三の各罪がそれぞれ同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により被告人両名についていずれも刑及び犯情の最も重い判示第三の罪の刑に法定の加重をした各刑期の範囲内で、被告人Aを懲役一年六月に、被告人Bを懲役一年にそれぞれ処し、後記の情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から被告人両名に対しいずれも三年間それぞれその刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により主文第三項掲記のとおり各被告人の負担とする。

(量刑の事由)

昭和五一年度神戸まつり事件は、その被害総計が死者一、軽傷者五二、全焼したタクシー七、大破したタクシー三、損傷を受けた自動車等一三五、投石等の被害をうけた建物四という甚大なものであり、被害者に与えた不安、社会に与えた影響は深刻且つ重大なものであり、被告人両名は、いずれも、当初から違法行為をなすことを目的としていた、いわゆる暴走族グループの一員ではなく、暴走族の暴走行為を見物する目的で三宮周辺に繰り出した群衆の一人にすぎなかったのであるが、群衆の熱気と興奮に呑み込まれるまま、安易に理性的配慮を欠き、右群衆等とともに暴徒と化して判示の各犯行を次々と敢行したものであって、特に被告人Aは犯行の数も多く、被告人両名ともその刑事責任は重大であるというべきである。

しかし、他面被告人Aは前科、前歴はなく、昭和四八年三月に中学を卒業後、定時制高校に通いつつF自動車整備工場に勤務し、同校卒業後も引き続き現在まで同工場で真面目に勤務してきたものであり、被告人Bも高校一年生時に道路交通法違反(無免許運転)の非行により神戸家庭裁判所で不処分になった以外には前科、前歴はなく、昭和五一年三月に高校卒業後は会社員として真面目に勤務を続けてきたもので、被告人両名とも日常的には何ら非難されるところのない生活をおくっており、本件各犯行は群衆の異様な興奮状態の中での機会的、偶発的犯行であると認められること、また被告人両名は本件犯行当時いずれも未だ分別の充分でない少年であったが、現在では一社会人として成長していて、もはや再犯のおそれはほとんどないものと認められること、被告人両名とも本件で逮捕、勾留、観護措置により相当長期間身柄拘束をうけるとともに自己の非を十分反省していること、その他被告人Bは本件の関係で、当時勤務していた会社を解雇されるという社会的不利益を受けていること等の諸事情も総合勘案して、主文のとおり量刑したものである。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 梨岡輝彦 裁判官 阿部功 井戸謙一)

〈以下省略〉

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